「成功する可能性が高い」教育とは?【特別寄稿:必見!】

一般社団法人横濱学園(予備校・塾の横濱学院)

2020年02月19日 08:18



あけましておめでとうございます。
旧正月も終わってしまった今ごろ、年明け初ポストという……。


“信州から不登校&公教育”の関サバ子です。
いや、年明けからも「これ書きたいわー」というネタはいっぱいあったんですけどね。
信州の1~2月は寒さが厳しくなるので例年、ちょっとメンタルの引きこもり傾向に拍車がかかり、活動低下気味になっちゃうんですよね。
今年は暖冬なのでまだマシではあるんですが。


と、前置きはこのへんにして本題に。


日本各地で400回以上上映されている教育ドキュメンタリー

今回は、アメリカ発のドキュメンタリー映画『Most Likely to Succeed』についてです。
和訳すると「成功する可能性がもっとも高い」という感じでしょうか。

テクノロジーの進歩で時代が激変している中で、今までの教育だとマジで時代についていけないんだけど、じゃあどういう教育がいいんだろうね? という内容です。


この映画、昨年末の段階で、日本国内44都道府県で400回以上上映されています。
(ちなみに未上映は、山口県、大分県、和歌山県。3県の教育に関心のある方、ぜひ上映会をやってください!)

わたしの生活圏でも昨年、上映会をやっていたんです。
しかし当時のわたしは、わりとクールで抽象的なビジュアルに「先端教育、エリート教育の話なのかな」と思い込んで食指が動かず。
今回、この映画の主催者さんから誘われてはじめて「観てみよう」という気持ちになりました。


それで、長野県辰野町というところに初めて行きました。
場所は塩尻と伊那の間……って言ってもわかんないですよね。
Googleマップで見てみてください。
最近は、日本のど真ん中“ゼロ・ポイント”として売り出し中です。


映画の話に戻ると。
もうね。
もっと早く観るべきだったと後悔するほど良かった。



入学生は低所得者層が多く多様性も……近隣の公立校と同じ

大筋としては、アメリカのカルフォルニア州サンディエゴに開校した「High Tech High(以下、HTH)」というチャータースクール(公設民営の公募型研究開発校)の9年生(日本では高校1年生)を追いかけています。
学校の名前がこんなだし、「AIの普及で今のこどもたちが大人になる時には……」という文章で説明されていたので、ICT教育の話かと思っていたらさにあらず。

全人教育であり、温故知新であり、どんな時代であっても通用する学びの本質を体現している学校の話でした。

そこで展開されていたのは、AI時代かどうかに関わらず、人間が人間として生きるための普遍的な「ソフトスキル」を主体的に、極めて自然にブラッシュアップしていくあれこれでした。
(ソフトスキルとは、コミュニケーション能力やリーダーシップのような数値で評価しにくい能力のこと。ハードスキルは客観的な評価が可能な能力です)


象徴的だったのが、“ふつうの”中学校からHTHに入学した初日、新入生たちが教師から「今からこれをやろう」と提案されたのが、「ソクラテス式セミナー」というもの。
ソクラテス、ですよ。
日本の学校だと、世界史か倫理くらいしか出てこない人名だよね……。


HTHには教科書も、科目も、成績表も、試験もありません。
クラス単位でプロジェクトに取り組み、その成果を、保護者はもとより一般の人にも公開される学期末の発表会で披露するのみ。
教師にも“完全な知的自由”が保障されており、何をどのように進めるかは一任されています。


鈴木大裕さんの『崩壊するアメリカの公教育』を読んでいたので、アメリカの公教育のネガティブな変化についてはある程度頭に入っていたつもりでした。
そこは置いておくにしても、アメリカは日本よりは「主体的で対話的な深い学び」をある程度やっているのだろうという思い込みを、まず鮮やかに裏切られます。
教師からの指示があってもなお、新入生たちがクラスルームで所在なげに立っている姿は、日本でも見覚えがあるものでした。
そして、「自信がない」「私なんかには無理」という言葉も、聞き覚えがあり。


HTHに入学するくらいだから、さぞ主体的でモチベーションに溢れている……という感じでもないのです。
保護者は保護者で「いいのはわかるけど」「大学入学のテストは大丈夫なのか」という至極もっともな不安を口にします。


ここから先は、映画を実際に観てみてください。
(オンラインで1回数百円で購入して観ることもできます。が、観終わった後にめっちゃ喋りたくなるので、上映会&グループトークが断然おすすめです!)



観た後に誰かと話したくなる映画

映画の後は、4人前後のグループに分かれてトークタイム。
どのグループも盛り上がっていましたね。
私がいたグループは議員の方や学校長の方、ご年配の方。
5者5様の意見や感想が出て、面白かったです。

トークのルール「立場を一旦脇に置く・否定しない・正解を求めない」が絶妙に機能していたので、よりいい感じで話がしやすかったんじゃないかなと思います。
いくつかのグループが話し合った内容をシェアし、そのどれもが多彩であり、核心を突いたものも多々ありました。


そして、長野県池田町教育長・竹内延彦さんのトークがはじまります。
竹内さんは昨年この映画を観て感銘を受け、今はアンバサダーとして長野県内の上映会にお声がかかれば出向いているのだとか。
竹内さんは、大学院卒業後、フリースクールを皮切りに一貫して学校外にいる若者支援に携わってきたという異色の教育長です。
◆池田町教育大綱
https://www.ikedamachi.net/0000000535.html


海外の学校もたくさん見学しておられ、ニュージーランド(以下、NZ)の話が印象的でした。
人口500万人に満たない小国のNZでは、国立大学が8つしかありません。
だから、海外の大学に留学していずれ母国に戻る、というのがわりとよくあるキャリアパスなんだそうです。

これ、日本の地方と相似形ですよね。

若者を抱え込む方策を取るのか、外にどんどん出て知見を広げてもらって「いずれ戻りたい」と思える地域づくりをするのか。
では、どうやって戻りたい地域を作るのか? 

竹内さんは「地域で幸せなこども時代を過ごすことが、一番の戻りたいモチベーションになるんじゃないか」ということを仰っていました。
そう、ここで教育、特に初等・中等教育が大事じゃない? という話に繋がるわけです。


ここからは、質問タイムです。
「(SDGsと絡めて)“こどもが中心”の具体的な施策は?」
「小規模校はどう思うか?」
「教育ではなく協育のほうがいいのではないか」
「教育委員会が先生を委縮させている?」
「先生は忙し過ぎて地域との協働が難しいのでは。池田町ではどうやっている?」
「自治体で校務専門スタッフを雇うべきでは」
「(不登校のお子さんがいる方)基礎学力は親としてどう保障すべき?」
と、バラエティに富み、地域の問題意識も垣間見える問いが出てきました。


竹内さんの答えで印象的だったものをいくつかピックアップします。
●「こどもが中心」のために実際に小学校で6年生に話を聞いた。「宿題は自分で決めたい」「月1回でいいから一日中自分で決めた学びをやりたい」という声が出てきた。

●こどもにとっていい学校はもちろん、先生にとってもいい学校である必要がある。海外は公立校も教師は直接契約。合う先生は残り、合わない先生は去る。NZでは「こどもに教えたがる人は教師に向かない」という考え方がある。“(教師は)黒板からカメラへ”=チョークで板書するのが仕事ではなく、カメラのようによく観察してアセスメントするのが仕事というようにシフトしている。

●地域との協働はどこも課題。勤務地の住民でない先生が増えていて、地域の人と接する時間がほぼない。長野県は全県一括採用からブロックごとの採用に切り替えた。池田町では授業中にこどもが地域に出る、地域の人に学校に入ってもらうことをやっている

●先生は何のプロフェッショナルかを考える。本来は授業のプロであるはず。海外はそこが徹底していて、生徒が帰る時に先生も退勤する光景が珍しくない

●部活やICT人材の外部化。長野県がすすめる「校務支援システム」を導入

●何をもって基礎学習とするか、ということがある。プロジェクト学習はトータルに力がつく。すべての教科が乗っている風呂敷をイメージ。ひとつの教科を摘み上げれば他も一緒に上がってくる。すべての教科はこんなふうに繋がっている。家庭科をやれば国語も算数も理科も美術etc.もついてくる。和歌山県などにある私立学校「きのくに子ども学校」は、学習指導要領がプロジェクト学習のどこに該当するか、すべて読み替えて整合させている。つまり、学習指導要領内でもできることはたくさんある。



教育はクリエイティブな仕事

サバ子、今日もたくさん頷きました。

特筆すべきは、辰野町の方の熱気!
何かが変わりそうな予感が、ビンビン伝わってきました。


もちろん、いい教育とは何か、人によって考えは違います。
でも、「こどものために」にフォーカスすれば、一緒にやれる部分はたくさんあるはず。

登山道がいくつあっても、めざす山頂(こどもが中心)はひとつですから。
(もちろん、「その道だと遭難しますね」という考え方は除外していく必要はありますが)


大事なのは、なんとなくのイメージで語らないことでしょうか。
教育は、日本においては多くの人が当事者/かつての当事者なので、誰でも何かしら語れてしまうトピックです。
だから、大なり小なり思い込みや偏ったイメージを往々にして持ちがちな上に、こどもへの「こうなってほしい」「こうしてほしい」というエゴを巧妙に盛り込んでしまう悲劇も。(自戒を込めて)


わかっている事実をもとに、何が目の前のこどもにとっての最善かを考え抜き、まだわからない未来をつくっていく。

educationの語源は「外へ引き出す、導き出す」という意味だそうです。

こんなクリエイティブなこと、ないですよね。

HTHの先生は「だからやめられないんだ」と言っていました。
尊いなぁ。


というわけでサバ子、地元でも竹内さんのトークと上映会をやりたいと思って、少しずつ動き始めました。
この映画の主催者さんも、別の場所で観て触発されて、地元での上映会を実現させました。

沖縄はすでに開催県ではあるけれど、ご興味のある方はぜひ開催してください!
情報量が多い映画なので何度観ても発見があるんではないかと思います。




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