“信州から不登校&公教育”の関サバ子です。
さてさて、先日、不登校をテーマにした講演会に行ってきました。
スピーカーは児童精神科医の井上祐紀さん。
井上先生は東京の慈恵会医科大にお勤めで、ADHD、思春期、青年期の子どもを、親子一緒に診ている先生です。
お題は
「医療現場から見た不登校 こどもたちの本当のねがいごと」です。
膝を打ちまくりたくなるほど充実の内容だったんですが、中でもいちばん印象に残ったのはこの言葉でした。
「苦痛がなく、安全で、張り合いのある生活」
この言葉は、子どもが学校という場で健やかに暮らすうえで分かりやすい指標になると感じたので、今回取り上げました。
★「満たされる」には段階がある
この言葉の前段として、
マズローの欲求5段階説が引かれていました。
マズローはアメリカの心理学者です。
「欲求5段階説」が有名で、心理や支援などの専門職の方なら知らない人はいないというくらいよく知られています。
下位の欲求が満たされてはじめて上位の欲求が満たされる、という説です。
この説については「根拠となるデータがない」「文化の違いを考慮していない」という批判があります。
(この批判に反証する調査もあるようですが)
とはいえ、体験的に理解できるという人も多い説であることは確かで、だからこそ今もあちこちで引用されているのでしょう。
私は、今回の話の中では非常に分かりやすく感じました。
一番上の自己実現欲求を満たすためには、生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・承認欲求が満たされていることが条件になります。
生理的欲求とは、トイレに行きたい、お腹が空いた、眠いという
「生命維持に不可欠」な欲求のこと。
安全欲求は、安心していられる、脅かされないといった
「安心・安全」を求めること。
社会的欲求は、
「愛情や帰属」を求めること。
承認欲求は、人に
「認められて尊重される」こと。
自己実現欲求は、
「あるべき自分になりたい」と願うこと。
と、説明されています。
★好きな時にトイレに行けない、飲み物を飲めない場所?
生理的欲求と安全欲求は、すごく当たり前のことに感じられますよね。
これが満たされないのは刑務所くらいじゃないか、と。
でも、これがシャバにおいて事実上制限されている場があるんです。
それは、
学校です。
トイレにいつでも好きな時に……行けません。
喉が渇けばいつでも飲み物を飲む……ことはできません。
競争やいじめにさらされず、ありのままの自分を出しても大丈夫な場……とは言えません。
つまり、マズローの欲求5段階説に照らし合わせると、
学校は生理的欲求と安全欲求が満たされない場ということになります。
★1段目、2段目をすっ飛ばして3段目を求める学校
にもかかわらず、学校では「みんな仲良くしましょう」「協力しましょう」と、社会的欲求は求められます。
生理的欲求と安全欲求が満たされないのに、社会的欲求を求められる。
非常に無理があります。
だから、いじめや同調圧力みたいなつまらない力学が働いてしまうのかもしれません。
人間性の問題ではなく、構造の問題ですね。
トイレに行くことが制限されているから、学校のトイレでウンチをする子をからかいたくなる。
今日は調子がいまひとつだ、眠たいと思っても休憩できないから、保健室によく行く子がズルく見える。
……そんな感じで、
ちょっとしたことが「からかい」や「ムカつき」のタネになる。
生理的欲求や安全欲求が満たされないという場に日常的にいたら、
不安やフラストレーションは地味に溜まっていくでしょう。
にもかかわらず、たまたま同じ地域で同じ年に生まれたというだけで括られている人たちと、協力し、仲良くすることを求められる。
その
潜在的なイライラ感や怒りが、他者への攻撃に転化してもなんら不思議はありません。
★「今、自分は健やかに生きているか?」
そこで
「苦痛がなく、安全で、張り合いのある生活」という言葉です。
「苦痛がなく、安全」というのは、
生理的欲求・安全欲求が満たされている状態です。
張り合いのある生活というのは、
「難し過ぎず、易し過ぎない課題のある生活」と井上先生は仰っていました。
これは、
ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」にも通じる話ですね。
ヴィゴツキーはロシアの心理学者です。
「発達の最近接領域」というのは、すごく乱暴にまとめると、
「できそうでできない」ところに成長のポイントがあるという話です。
子どもを見てるとよくわかりますが、「できそうでできない」ことをやっている時って、かなり
夢中になりますよね。
「簡単にできる」ことにはすぐ飽きてしまうし、「これはとうてい無理」ということにはあっさりやる気を失います。
「できそうでできない」ことに夢中になって取り組んで、「できるようになった」ら、
達成感を味わえます。
これを繰り返し学習すると、
「今はできないけど、できるようになるんじゃないか」という予感が身に着くようになります。
そうすると、
スモールステップでチャレンジすることに抵抗がなくなります。
これって、生きる上でけっこう大事な力なんじゃないかと思います。
話が逸れました。
子どもが「苦痛がなく、安全で、張り合いのある生活」を送れているか? は、重要なバロメーターのひとつになり得ます。
井上先生は
「先生にとっても同じです」と言っていましたが、ほんとにそうですね。
大人も今、「苦痛がなく、安全で、張り合いのある生活」が送れているか、ときどき振り返ってみるといいかもしれません。
どれかが欠けているとしたら、どうしたら回復できるのかを考えてみる。
変えられることは変えてみる。
変えられないことは、何か働きかけられることはないか考えてみる。
もしくは、状況が変わるのを待ってみる。
ありきたりに思えるけれど、そうやってときどき軌道修正するのは、
健やかに生きるために大事なことではないかと思うのです。
(健やかな人生などクソくらえだという方もいらっしゃるでしょうが、それはまた別の話ということで……)
一番確実なダイエット方法は、ありきたりすぎて本にならない。
というのと同じです。
学校もまずは、
教師と生徒の生理的欲求と安全欲求を十分に満たしているか? という視点を導入すると、だいぶ様変わりするんじゃないでしょうか。